本当に不安なのは別のことだった

先日、「頭の片隅に将来への不安があるという話」を書きました。それは、主に働いていないことに対するものであるという内容です。でも、一番不安なのは、仕事のことでも金銭的なことでもありません。この先、母がいなくなった時のことです。

 

例えば、病識がないと思ったら、病気が「もう治ったから」と言ったり、お風呂場の中までカバンを持って入り、ドアを開けてシャワーを浴びたり、外出時にも部屋のドアをしっかり閉め、ドアを開けたらわかるように部屋の中に箱を置いて、何か印を付けていたりします。そして、誰も何もしていないのに、「入っただろ」と言われたり・・・

 

まったく話の通じない場面に出くわすと動揺しますし、こういう時に、将来への不安を強く感じてしまうのです。父が亡くなった頃、薬を飲んでいなかったかもしれません。震災のあった時も、同様なのではないかと思います。

 

そして、落ち着いた頃に再発(悪化)、自殺未遂がありました。その時、初めて薬を飲んでいなかったことを知ります。あの時、一人だったら乗り越えられなかったでしょう。

 

一人が彼の様子を見ながら、一人が薬を探したり、一人が自傷行為を止めに入り、一人が病院に薬を取りにいき・・・そして民間救急に依頼して、初めての入院・手術。その後、症状は進み定着してしまったようです。

 

冒頭の症状も、その後から出てきました。認知機能の低下をはっきりと感じられるようになりました。

 

いずれ親戚にも話をして、何かの時には助けてもらえるようにとは思っていますが、いつか一人になった時、被害妄想と警戒心の強い弟を私一人で支えることができるだろうかという不安があります。

 

でも、今は悩んではいません。彼の状態がよくなることを願っているし、私自身がもっと勉強をして環境を整えたり、できることをやっていけばいいと思っているからです。そのためにも、私自身が安定した状態でいたいと思います。