“黒子に徹する”関わり方(2)

統合失調症を発症しながらも、大学に通い、通勤している間は、症状が大きく進んでしまうことはありませんでした。もちろん、大きなストレスを抱え、辛いこともあったかと思いますが、会社を辞め、大学院を中退して月日が流れるうちに、症状が進んで行ったように思います。彼は、10年近くもの間、資格試験のテキストに向き合うことが中心の生活をしていました。その間、私も自分の生活で精一杯でしたし、弟の生活に口を出したりすることもなく、両親に任せ、弟から相談を受けた時に応じるくらいでした。

 

3年前、弟は初めての入院をしました。入院に際しては、いつも影でのサポートに徹しています。病院や本人とのやり取り、本人が参加する面談等は母に任せ、私は、必要とあらば病院に薬や医療情報提供書をもらいに行ったり、役所への相談や入院先の検討、民間救急の手配をしたりと、裏方の仕事を引き受けています。

 

母にとっても、それらをすべて1人で対応するのは年齢的にも厳しいようです。しかし、私が裏方として動いていることを、弟は知る由もありません。私が裏方としてサポートをするのは、弟の様子がおかしくなってきて、ゆとりもない状態になった時か、入院中のことがほとんどだからです。

 

一方で、私自身にも自分の生活があります。弟が一緒に暮らしていた時は、こちらが距離を置こうとしても、どうしてもダメージを受けてしまうことがありましたが、できるだけ自分の生活を守った上で、母をサポートするよう心がけているつもりです。余談ですが、過去に、私が面会に来ると本人を刺激してしまうだろうと言った医師がいました。お互いのために、面会も本人の様子を聞きつつ、必要最低限にとどめるようにしています。

 

弟の症状の中で、月日を経て変わってきたことがあります。それは、徐々に認知機能が低下していることです。弟は繊細で感受性が高く、人の気持ちに敏感なのですが、状態の悪い時に事実を正しく認知できないことがあり、家族の行動や発言を曲げて記憶してしまうようになりました。被害妄想と思い込みが強く、事実を訂正しても、認識が変わることはありません。認知症だった祖母を思い出すような行動もありました。そんな中でも、繊細が故の優しい性格は健在で、本人の調子が良い時、言動からそれを感じることができるとホッとします。

 

家族として、病識がなく認知機能が低下している弟を突き放し、ただ見守るだけでいるとどうなるのでしょうか。例えば、これまで一度も受験することのなかった資格試験の勉強に、意固地になってひたすら取り組むでしょう。アルバイトを始めようと面接は受けるものの、不安になってすぐに断ってしまうでしょう。

 

そんなことを、10年近く繰り返してきました。以前は本人から相談を受けることもありましたが、状態が悪くなってくると他人の意見は聞き入れません。うまくいっていないことはわかっていると思うのですが、本人曰く、それは誰かに邪魔されているからなのだそうで、自分の能力が低下していることに気づくことはできないようです。かといって自分でもどうしたらいいのかわからず、悩みながら同じことを繰り返しているように見えました。

 

本人にとって何がベストなのか、正解は誰にもわかりませんが、答えは彼自身の中にあると信じています。最終的に、自分が生きやすさを感じられる環境や生き方を見つけるのは、本人次第だと思います。ただ、今の弟の状況で、自分の力だけで現状の打開策を考え、実行に移すことは難しいでしょう。そこに辿り着くまでの間に、本人が進む選択肢の一つとして新たな環境を提供し、刺激を与えない限り、彼の凝り固まった考えが変わることはないだろうと思うのです。あるいは、本人が自分の現状を受け止め、こだわっている何かをあきらめられる状況も必要なのかもしれません。

 

今回は、コメントいただいたことをきっかけに、これまでの弟との関わり方を振り返ってみました。これまで書いてこなかった具体的なことにも触れたので、だいぶ長くなってしまいましたが・・・

 

焦りは禁物ですが、親亡き後や経済的なことなどを考えると、失敗を繰り返しながらでも、少しずつ前進して行く必要があると感じています。

 

弟と統合失調症と私