統合失調症の家族のこと、友達に話せますか?

統合失調症の当事者のきょうだいの話を聞いたりしていると、きょうだいが統合失調症であることを友達に話せずにいる人が、いかに多いかということがわかります。中には、親から友達に話さないように言われている人もいるようです。でも、きょうだいだけではありません。子供のことを話せないという親御さんもいらっしゃいます。

 

個人的には、当事者が気の毒でなりません。一番身近な家族が本人を受け入れずして、誰が受け入れられるというのでしょうか。家族が差別の気持ちや偏見を持っていては、他人に対して差別や偏見を解消しようと働きかけることなど到底できません。

 

「本人が差別されたり、偏見を持たれたりするのがかわいそうだから」と言う人もいるようですが、それは自分自身が差別されたり、偏見を持たれたくないという気持ちのあらわれでしかないと思います。かわいそうな存在だと決めているのは自分自身でしかありません。

 

「精神障害者が家族にいると思われたくない」

 

なぜでしょうか?恥ずかしいことなのでしょうか。例えば、ガンや糖尿病になって、恥ずかしいと思うでしょうか。自分の家族が精神障害者であると言うことで、自分が差別され、偏見を持たれることを恐れているのでしょうか。自分に自信があったら、自分が話す相手を信じていたら、精神疾患を持つ家族がいることを話すことに抵抗は感じないだろうと思います。

 

実際のところ、お年を召した方や、人口の少ない田舎町に住む方の中には、そういった偏見や差別の気持ちが強い方が多くいらっしゃるという話も聞きます。そういった理由で、親戚にも話しづらいということは多いようです。

 

相手が友達の場合はどうでしょう?

 

私は、親しい友人には抵抗なく話をしています。それほど親しくなくても、きょうだいについて聞かれた時、その場で病気について説明する時間があれば、話をしています。

 

統合失調症の弟は、悪いことをしているわけではありません。本来であれば、弟自身にも病気を受け入れ、差別や偏見に立ち向かって欲しいと思うのですが、まだそれが叶わない今、せめて姉である私が、弟が偏見を持たれないように、病気について説明し、理解してもらおうと向き合うようにしています。

 

これまで、友人に弟が統合失調症であることを話したことによって、距離を置かれてしまったりするということはありませんでした。日頃の信頼関係があって、私自身のことを理解してくれている友人は、心配してくれることこそあれ、差別や偏見の気持ちを表すことはありません。中には、統合失調症について勉強してくれたり、情報をくれたりした友人もいます。

 

統合失調症に限りませんが、差別や偏見を持たれがちな障害を抱える当事者の家族は、自分自身が強くいられなければ、物理的にも精神的にも、当事者を支えることは難しいだろうと思います。強くあるというのは、単に気が強かったり、気丈であるということばかりではありません。目の前の現実を受け入れ、一緒に乗り越えよう、見守っていこうという気持ちが、当事者の支えになるのではないでしょうか。物理的に離れていても、精神的に支えることはできると思います。

 

例えば、警察沙汰ばかり起こしていたり、自分に暴力を振るってくるという家族がいた場合、その最中に本人の病気までも受け入れるというのは、なかなか難しいことかもしれません。それでも、最後に頼れるのは家族です。仮に、自分の弟がそのような状況に陥ったとしたら、距離は置いても見捨てずに、見守っていられる自分でいたいと思います。

 

友人に話すときのポイントは、堂々と当たり前のように話すことだと思います。そして、病気についてきちんと説明をして、相手に不安感を与えないことです。差別や偏見は、無知から生まれると言われるように、相手に正しい知識を提供できれば、相手は偏見など持ちようがありません。さらに、その友人が自分の周囲の人に話す可能性も考えて、例えなども交えてわかりやすく話せたら言うことなしです。

 

当事者の家族に、もっと病気について勉強して欲しいと思います。勉強すれば、自分の中にある偏見や差別の気持ちはなくなるでしょう。まずは、家族の気持ちの中から、差別や偏見がなくなることを心から祈ってやみません。