統合失調症を受け入れられるか(1)

先日の“統合失調症の家族のことを、友達に話せますか?”という記事に、当事者の方からもコメントをいただきました。その後、改めて考えたことなどを書いてみたいと思います。

 

私はこう書きました。

>当事者の家族に、もっと病気について勉強して欲しいと思います。勉強すれば、差別や偏見はなくなります。まずは、家族の気持ちの中から、差別や偏見がなくなることを心から祈ってやみません。

 

その後、正確を期すため書き直しました。

>当事者の家族に、もっと病気について勉強して欲しいと思います。勉強すれば、自分の中にある偏見や差別の気持ちはなくなるでしょう。まずは、家族の気持ちの中から、差別や偏見がなくなることを心から祈ってやみません。

 

“差別や偏見がなくなる”と敢えて言い切ったのは、究極的には可能なことだと思っていたからでした。一部、希望も込めていますが、自分自身が勉強することによって、“知らないこと”がいかに偏見を生むかということを身をもって感じたからでもあります。

 

その一方で、すべての人が心理的な壁を乗り越え、差別や偏見がなくなるところまで、病気について正しく理解することは難しいだろうとも思っています。

 

私が勉強を始めたのは、「弟の病気を理解したい、支えたい、偏見をなくしたい」という気持ちが強かったからだと思います。治療に取り組むためにも、正面から向き合い、「ありのままの現実を受け入れよう」と、すぐに思えたことも大きいかもしれません。

 

置かれている環境、親子関係、きょうだい関係、交友関係、価値観、性格など・・・そういった要素が、そもそも精神障害を理解しようするかどうかにも影響するだろうと思いますし、例えば、思い込みや偏見の強い人、心の防御力が強い人などにとっては、事実を聞いても、それ以前に“受け入れる”ことが難しいということもあるでしょう。

 

精神障害について、第三者に話すか話さないかは、当事者や家族の自由ですし、正解はないと思います。ただ、病気を抱えながら、どうすれば少しでも生きやすい環境づくりができるかを考えた時、自分が抱える病気に対しての理解者を増やすことは、一つの方法として有効なのではないかと思っています。それは、必ずしも家族や親戚ではないかもしれません。

 

当事者にとって、活動範囲を広げようとすればするほど、世間の差別や偏見を感じることも多くなるでしょう。そのような中、一番の支えになるのは、理解者がいるということ、理解してくれる人がいると感じられることではなでしょうか。