当事者の家族が「自分の人生を生きる」ということ

ある日、私と同じように統合失調症の弟を持つ女性がこう言いました。

「弟がいなかったら、私の人生は違っていた」

 

その口調は、少し吐き捨てるような、憤っているような、そんな感じでした。私は、そう言った彼女に対して、本音を言ってくれたことをうれしくは思っても、責めたり、否定する気持ちにはなりませんでした。それは、私が同じように思っているからではありません。少なくとも、その時の彼女は苦しんでいただろうし、悩んでいただろうと思います。

 

彼女が常にそう思っているとは限らないし、ただゆとりをなくしていたのかもしれません。その一方で、弟が病気であることと、自分の人生が思うようにいかないことは、別の問題ではないかと、個人的には思っています。

 

確かに、弟が統合失調症でなければ、自分の生活も変わっていたでしょう。でも、私にとってはそれも含めて自分の人生だと思うのです。目の前で起きたことを嘆き悲しんだところで、状況が好転することはありません。どうにか現状を受け入れて、立ち止まりながらも前に進むしかないのです。

 

言うは易しだと思う人もいるかもしれません。でも、それ以外の方法があるでしょうか。私も冒頭の彼女と同じように苦しみ、体調を崩したこともあります。でも、どう足掻いたところで、何も変わりません。それどころか、自分の精神状態が、弟に悪影響を与えてしまうこともあるのです。

 

この試練をどう乗り越えるかは、自分次第。私が選んだのは、統合失調症から逃げることではなく、向き合うことでした。弟自身が病気を受け入れられていなくても、統合失調症について勉強しました。病気のこと、薬のこと、福祉のこと。

 

病気に向き合っているうちに、家族にはできないサポートがあることも感じました。できないというより、「家族ではない方がいい」と言った方が正確かもしれません。弟を見ていると、家族に対しての精神的依存を感じます。それは、必ずしも甘えて頼るということではなくて、怒りをぶつけてきたり、暴言を吐く甘えです。

 

生活上、もちろん家族が行うべきサポートもあると思いますが、地域社会で生活して行く上で必要となるのは、第三者との関わりです。ここから先は、本人にとって、第三者との関わりが重要だと考えています。(このテーマについては、また別の記事で書きたいと思います)

 

少し話がそれましたが・・・私は自分の人生を「人のせいにしないようにしよう」と、いま改めて思っています。不幸を人のせいにしでも、残るのは恨みと苦しみだけだからです。

 

”親と環境は選べない”という言葉を聞きますが、私もかつて、悩み苦しんだことがありました。子供のうちは、自分の力ではどうにもならないことがありますが、成長するにつれて、まず精神的に自立することができるようになります。親の考え方から解放され、自分の価値観を持つことができます。すべては自分次第。そう考えられるようになりました。

 

「この状況を踏まえて、自分に何ができるのか、何をしたいのか」

苦しい時、辛い時、立ち止まって自分に問いかけています。