保護室の記憶と、患者の人権尊重。

弟は、一度だけ身体拘束されたことがある。

 

自傷行為を起こして腕を負傷したものの、母がなんとか食事に薬を入れながら、本人としては自宅で平穏に生活していた。しかし、自らは服薬しないし、腕の状態が悪くなっても病院に行かないので、私たち家族は医療保護入院を選択せざるを得なくなった。

 

通院していたクリニックの紹介で行った単科の精神科病院で、骨折していることがわかったのだが、身体合併の病棟がなく、松沢病院の病床が空くまで、そこに入院することになった。その時、初めて民間救急のお世話になったのだが、その時の対応は紳士的で、一番よい業者さんだったと思う。

 

病院に着くと、入院を拒む弟に、女医さんがしどろもどろしていたのを覚えている。説得ができなかったこと、1週間前に自傷行為があったことからか、抵抗する弟に無理矢理注射をして眠らせて、そのまま保護室へ運ばれた。その間、家族は診察室の外に出されていた。弟が目が覚めた時には、保護室で身体拘束されていたのである。

 

その時の弟は、どんな気持ちだったろうか。身体拘束は、本当に必要だったのだろうか。朝、ニコニコしながら私と会話していた数時間後に身体拘束されているなんて、本人も私たち家族も誰も想像していなかった。

 

初めての保護室と遅れている日本の精神科医療

保護室と一般病棟の間の扉は、大きく分厚く重くて、杉本哲太似のガッチリとした看護師さんが開けてくれた。起きても脚の届かない高さのベッドが一つ、トイレが一つ、壁の色は何色だっただろうか。部屋は薄暗くて、グレーでコンクリートだったような印象がある。少なくとも温かさは感じられなかった。点滴をされながら、数日間そこに滞在した。ベテラン看護師のおばさま方は、明るく優しい印象で、それが唯一の救いだった。

 

時々、その時のことが思い出されて、胸がいっぱいになることがある。本人にも、家族にも、きちんと説明がされないままされた、突然の身体拘束には大きなショックを受けたし、医師に不信感を抱いた。

ちなみに、いま私が勤務している精神科の保護室は、新しく、木目調で温もりを感じる内装になっている。かつては、コンクリートで冷たい印象だった内装を、精神保健福祉士の提案で変えたのだそうだ。そして、拘束されている患者については、それを続ける必要があるかどうか、毎朝ミーティングで検討される。

 

だからといって安易な身体拘束が許されるわけではなく、私は基本的に身体拘束には反対だ。だが、入院患者の気持ちを配慮した工夫がされていることに、少しほっとした。

 

世界から50年遅れていると言われる日本の精神科医療。患者の人権を尊重した対応がされることを、心から願って止まない。

 

【参考資料】

医労連(日本医療労働組合連合会)のホームページに掲載されている「精神科医療の在り方への提言」の中に、日本の精神科医療の実状についてまとめた資料を見つけました。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。