本人の希望を聞きに、再び面会へ

私たちが話したかったこと

2年ぶりの面会から2週間後、私たちはもう一度、面会に行ってきました。(ちなみに、母は少なくとも月に1回は面会に行っています)それは、病院からも退院に向けての話が出ていると弟から連絡があったこと、そして私たちも、弟の今後の希望を改めて聞きたいと思っていたからです。

 

今回、私たちが話したかったことは2つありました。1つは、退院に向けて弟の希望を確認すること。もう1つは、実家の引っ越しについてです。

 

はじめのうちは、アイスブレイクも兼ねて弟の話を聞き、その後、今後について検討するにあたって「弟自身がどうしていくか」ということと、「家族としてどうしていくか」という2点について話したいと切り出しました。

 

弟の希望とズレた現状認識

弟の希望は、実家に帰ることです。そして、仕事については焦らず、以前勤めたことのある会社に戻るか、塾講師の仕事をするかの何れかで考えているとのことでした。

 

それを聞いた直後に思ったことはいろいろありましたが、その場で否定することはしませんでした。帰ってきてからもいろいろと考えましたが、最終的には、退院後の最初の生活場所について以外は、弟の好きにしたらいいと思っています。どんな障害を持っていたとしても、一人の人間です。どのように生きていきたいかということについては、何よりも本人の意思が尊重されるべきだと思うのです。

 

周囲が考える理想よりも大切なこと

過去に執着している弟

確かに、弟は病気になってから現状認識がズレるようになりました。以前勤めたことのある会社というのは新卒で入った会社ですが、半年も勤めていません。大学院に行くために辞めたということになっていますが、服薬もしていましたし、当時の能力では仕事についていくのが大変だったことは、本人の話からもわかります。しかも、15年も前に辞めた会社に戻れるはずがありません。

 

自分の現状と社会の常識を正しく認識することができず、「募集がない」と2度も丁重に断られているのにもかかわらず、可能性はあると思っているのです。私は客観的意見として、世間の常識について話しましたが、「いいからいいから」と真剣には聞いていないようでした。

 

塾講師というのは、学生時代にアルバイトでやっていた仕事です。入院前に試験を受けて合格し、配属が決まって研修を受けることになっていたのですが、当時の主治医の反対や入院があり、できずじまいになっていました。それに、もう一度挑戦するのだそうです。

 

一周回って得た達観

現実的に難しいだろうかとか、周囲に迷惑をかけはしないだろうかとか、私もいろいろと思うところはありましたが、おそらく本人が失敗でもしない限りあきらめることはないだろうと思います。上手くいけばそれはそれでいいですし、上手くいかなければ、その次を考えればいい、なるようにしかならないと考えるようになりました。

 

弟のような場合、まずは障害者雇用を目指して就労移行支援事業所に行くというのが一般的ですが、本人はプライドが邪魔してそれを受け入れようとはしません。プライドもありますが、何よりも自分の能力が以前と変わっていないと思っていることが大きいように思います。過去に何度も話してきたのですが、聞く耳を持つことはありませんでした。いまは、遠回りしてでも、最終的に弟が納得できるところに着地すればいいのではないかと思っています。

 

そもそも「障害者になったら障害者雇用や福祉的就労へ」というのは、私たちが決めたことであって、固定観念に過ぎません。その制度を利用するかしないかは本人の自由です。当たり前のこととして周囲が勝手に話を進めていくことは、それこそズレています。本人の意思を尊重することは、家族も周囲も忘れてはならない大切なことです。

 

退院後の最初の生活場所と家族の思いについては、また次回振り返りたいと思います。